ナポリタンを待ち侘びて
「吾輩は」
電車が通り過ぎる瞬間、微かに呟いた。
お昼にヤマセンが夏目漱石の「吾輩は猫である」の一文は近代文学を変えたとか、なんとか熱く語っていたのを思い出して、なんとなく呟いた。意味はない。
お年玉で買ったBluetoothのヘッドフォンは低音が気持ちいいから気に入っている。
GRAPEVINEの「光について」をGoogle Playで見つけて聞いていた。バイト先の崎田さんが教えてくれた。崎田さんはバンド活動をしながら私も働いているコンビニで働いている。どんな音楽やっているんですか?と聞くと「ロック」と自慢げな崎田さん。私は眉をひそめながらもふーんと答えた。翌週のシフトが同じ時に「かなちゃんの年頃はこんな音楽を聞かないと」とCDを貸してくれた。先週までの暑さが嘘のようにひんやりとした風が頬を撫でた。
知らない音楽を聞くのは好きだ。
私の生まれる前、生まれてから知らなかった様々な音が発明され、系統化され、破壊と構築の繰り返した。思想とその一遍、お気に入りの一曲。誰かが泣いたかもしれない。笑ったかもしれない。
人から勧められた曲は自分の感情から離れていて、私に新しい感情を与えてくれる。
だから、崎田さんの影響もあり私の好みはバラバラだ。友達の好きな曲とも違う、みんなには少し斜に構えた子にうつるのかも。
次の曲に切り替わる時に、レッドの前に着いた。ようじおじさんが店先をほうきで履いていた。
「また、マニアックな音楽聞いてる?」
「なんだと思う?」
「ロック?」
「あたりー!」
「ロックと言ったらレッチリだろ!」
「違うよ、いつもそれだね」
「俺からレッチリとったらあとはメシしかねぇだろ」
というのがお決まりの流れ、それからいつものセリフ。
「かなちゃんお腹減ってる?」
「凄ーく」
《つづく》
チャーハンを待ち侘びて
「この人ストーカーだから」
新宿から数分、中央線沿いのオフィス街を私は歩いていた。
普段ならば、忙しく人が行き交うこの辺りも、休日なると閑散としている。
巨大チェーン店の蕎麦屋もここでは土日が休みらしく、店内に灯りも人もない。街の流れと逆行しているような感覚がした。
しかし、このオフィス街にも私とおなじく、動き続ける店がある。
店には漢字2文字で大胆に、おそらく手書きか、筆書体で店名を掲げた暖簾がかかり、風に揺れていた。
暖簾をくぐり、扉を開けると冷やされた空気が漏れ出す、店内はやや寒い。
クーラーの噴出口から白い冷気が勢いよくでていた。
赤いカウンターテーブル、背もたれのない丸い椅子が全部で12席。
鏡ばりになっている壁際には、2席のテーブルが2組並んでいる。
壁の鏡にはおそらく近所の会社なのだろうOO鉄鋼所一同と金文字で書かれている。
席に座ると、髪を後ろで束ねた妙齢の女性店員が水の入ったコップを私の前に置いた。
一口水をすすると若干のカルキ臭さがあった。だが、乾いたのどを潤すには充分だ。
席からは厨房の様子がよく見える。といっても3畳もない広さである。
店の対象は勢いよく、中華鍋を振っていた。鍋の中でピーマンと肉が踊る。
ラーメンと食おうと決めて来たが、となりの親父が食うレバニラも魅力的に見えてきた。建築関係であろう兄さん方は大盛ラーメンにライス、生たまごという組み合わせで食べていた。ご飯ものもいい。先ほどの店員と目が合った。
「チャーハンと餃子。」
注文を終えた私は昨日の晩のことを思いだしていた。
学生の頃から通っているバーで初めて店に訪れた女性客がいた。
彼女と話をすると偶然にも故郷が同じだった。
私はつい出身の学校を聞いてみた。彼女が答えようした間に、
「この人ストーカーだから気を付けた方がいいですよ」と店の奥から、
アルバイトの子が会話に入って来た。
「人の紹介もまだなのに、ストーカーとはずいぶんな言い様ではない?」
彼女の方を見ると不思議と少しの驚きを眉間の皺に浮かべている。
「自分の胸に手を当ててみたらいいんじゃない。」先ほどより、声が大きい。
まぁ、正直に思い当たる節はある。このお店で知り合った数人の子と何度かご飯を食べに行ったりしたことがある。その際に相手からの連絡がないと、つい不安になってしまい、その子に関する情報をSNS等を使って調べてしまう。
そして、LINEで送ってしまう。
「Twitter最近更新してないけど、体調大丈夫?」
これは相手からしたら、きつい。
「そして、こいつは質の悪いことにその自覚がない。」
競馬新聞を読んでいたオーナーが新聞を閉じながら、会話に加わってきた。
さらに彼女の顔が曇る、再びこちらをちらりと向き、
「本当ですか?」
「いや、、、」自分でも思い当たる節がある以上強くも否定はできない。
「あぁ、もっと言うとこいつのタイプは君みたいな子じゃないから大丈夫。
もっと女の子、女の子した髪が長くて肌が白くてロリっぽい子が好きだから」
とオーナーが畳みかける。そんなメイド喫茶の店員みたいな子は私はタイプではない。
すでに不意打ちに逆水平を喰らいながら、ふらっとしたところをパワーボムで決められた感じになった。カウントをするまでもない。
彼女は小さな声でそうなんだぁとつぶやくと私と話すことはもうなかった。
人に自分の好きな女性のタイプを勝手に決められたことと、
自分が語るまでなく、そこまで落ちていた自分が恥ずかしくなり、
私はグラスの酒を飲み干し店を出た。
気が付くと10分ほどが経っていた。頼んだチャーハンはまだこない。
厨房を見ると大将は野菜を切っていた。
ピーマンは半分に切り、種を抜き短冊切りにする。横にして、微塵に切る。
大将が一瞬かがんで、足下の冷蔵庫から丸いステンレスの筒を出す。
中からチャーシューの塊がでてきた。スライスしてから、賽の目に切る。
最後にナルトもおなじく、賽の目に切った。
まな板の上に赤、茶色、緑の食材が揃った。
どうやら、ここではオーダー一つ一つに応じて、作るようだ。
最初から食材を刻んで仕込んではいない。最初から刻むのだ。
コンロも2つしかない。そういえば、よく見る餃子を焼く機器がない。
そう思うと、大将がまたかがみ、浅い鉄の鍋を取り出した。
長年使いこまれ、だがよく手入れがされている。
2つのコンロに鉄鍋、中華鍋が置かれた。火が煌々と鍋を包んでいた。
大将が振り向き様に手を伸ばすと、一言も交わさずに女将さんが
奥の冷蔵庫からまた大きなステンレスの缶と蓋つきのバットを取り出した。
バットの蓋を開けると、ポリ袋に包まれた餃子の皮があった。
大将が皮を数枚取り出して、今度はスプーンで餃子の餡をすくい、
皮を器用に、手早く包んでいく。6個包んで缶の蓋を閉じ、女将さんに渡す。
コンロの方に振り向き、油を注ぎ、鉄鍋には6個の餃子を並べた。
少し時間を置き、小さなやかんから水を注ぎ蓋をする。
サ!ジュゥゥ。湯気が上がる。水が熱で蒸発する音が店内に響いた。
中華鍋には小さいなバットからネギ、ピーマンを掴み入れる。
そして卵を割り、箸でかき混ぜながら入れる。
油のはじける細かな音がした。
すかさず、女将さんが平皿にご飯を盛り、大将の後ろに置いた。
それを掴み、まだ半熟の卵の中央へ白飯を中華鍋に投げ入れる。
長い柄のお玉の底で一回潰す、そこから飯の手前をお玉の先でかき混ぜると同時に鍋を振った。米の粒が宙に浮いた。
振るたびにコンロの下駄と鍋の底がぶつかり、律動的に響いた。
中華鍋の底に張り付いたを米を剥がすためだろう。
時折、おたまをを返し、先端で鍋肌をゴスゴスと擦る。
米と卵が混ざったタイミングでナルト、チャーシュー、グリーンピースを放る。さらに鍋を振り、具材が混ざった頃合いにお玉で目の上の位置の台に置かれたいくつかの小さなボールに入った、おそらく塩、うま味調味料をお玉の先で、これまでの大胆な動きと裏腹に慎重にすくい、中華鍋に入れた。
最後に黒い油をスプーンで一匙入れた。ネギ油だろう。
少し遅れて餃子もやってきた。
カンと鍋肌にお玉をあて、中の米をかき集め、お玉の中に詰めてゆく。
最後にそのお玉を平皿の上で返すと半円上の綺麗なチャーハンができあがった。
向き合わなければいけないものからずっとは逃げられない。
少しづつでもなく、実直に向き合うことを決めた私はあきらめとも失意ともつかう感情でレンゲをつかみ、チャーハンをすくいほうばった。
救世主はいない。
何者でもないチャーハンをむさぼる私が鏡に映った。
「もう30年か、すごいね大将!」
「すごくなんてない、だってあんたおまんまかかってんだから続ける以外ないのよ。」